どうも、つい最近18歳になってTwitterやPixivでエッチな絵が流れてくるようになったすぺらびです。どうでもいいですね
今回は新シリーズ、車番の沼です。鉄道車両の中でも「車番」に焦点を当てて沼要素をまとめていきます。記念すべき第一回は大阪市営地下鉄30系、軽く解説すると1970年大阪万博の会場輸送用として登場した車両で御堂筋線からの撤退後は第三軌条の各路線(谷町線・四つ橋線・中央線・千日前線)で運用されていました
最後の地は谷町線で2013年に運転された「谷町急行」がラストランで同年に引退しました。現在は3062号と3008号が保存されています。
この30系ですが車番がものすごい沼です。車番の中には2代目・3代目となる車番もあります。解説する前に基礎知識を身に着けておきましょう(ここから3001Fなどが出てきますがFはFormation=編成のFから来ています)
1.車番の付与基準
30系の車番は3ABBの4桁です。Aには車種が入りBには製造番号が入ります、製造番号は01から始まります。
車種は0と5が先頭車(クモハ)、1~4が中間電動車(モハ)、6・7が中間付随車(サハ)で3300形と3600形には簡易運転台があります
2.車体
30系の車体はアルミニウムとセミステンレスの2つが混在しています。これ以降アルミ車をAL、セミステンレス車をSUSと略して書きます
本編開始
ここからが本編です。30系は大きく分けて万博に合わせて製造された30系と万博後に製造されたマイナーチェンジ版の新30系がいますがこの記事では全て同じ30系として扱います
1.30系プロトタイプの7000-8000形が登場
1967年2月20日に30系プロトタイプの7000-8000形が登場しました、全てSUS車でこれ以降に製造される30系と違い貫通扉の幅が広くなっているのと側面の車番プレートが片側2個あるのが特徴です。7000-8000形は谷町線開業と同時に登場し万博時には御堂筋線の50系と交換する形で転属になりました。
またこの時中央線用にAL車の3008-3508が3001-3501より早く製造されています
この時の製造された車両は7001~7009・8001~8009・3008・3508の20両です
2.量産開始
1970年の大阪万博に合わせて30系は御堂筋線に大量投入されました。
この時に製造された編成はSUS車が3001F~3004Fと3005F・3006F・3007Fの中間車、3794~3799・3494~3499でAL車が3008Fの中間車と3009F~3024Fです(AL車にはC編成がありません)
7001~7009・8001~8009はこの時期に改番されました
当時はA編成・B編成・C編成の3つに分かれており基本はA+Bですが故障等で編成に空きが出た場合はC編成と連結して走っていたそうです(C+Cもあった)
改番一覧は以下の通り(左が改番前、右が改番後)
3.万博終了後
万博終了後に30系の車番は沼になっていきます。まずは北大阪急行よりSUS車の7000系・AL車の初代8000系が編入していきます
7000系・8000系の編成表は以下の通り
はいこの時点で迷要素が出ています。車番を見れば一目瞭然ですが7001F~7004Fに7605~7608・7405~7408・7305~7308が入っています
これは7000-7500のみで組成された7005Fが関係していて8両4本を5両4本へ組み替えて余った中間車を7005Fへ組み込み5両8本にすることを前提とした組成になっています
実際この後7000系SUS車は5両8本へ組み替えられ四つ橋線へ飛ばされます
また北大阪急行から大阪市営地下鉄へ編入する際に改番されています
SUS車7000系は元の車番を-4000した後に+50したのが編入後の車番でAL車8000系は8001Fが3026F、8002Fが3027Fになっています
元7000・8000形の30系編成はこの時御堂筋線・四つ橋線共用編成になりました
4.新30系製造開始
1973年からはマイナーチェンジ版の新30系の製造が始まりました
また御堂筋線に10系が投入されたことにより一部編成が転属になりその際改番されています
この項目では製造年別に解説していきます
1973年落成車両:3059・3359・3459・3559・3060
四つ橋線に投入された新30系第一号の車両たちです。3060は先頭車ですが暫定的に3059Fの中間車に組み込まれていました。
1975年に3659が落成した後は先頭車に復帰しています
1975年落成車両:3659・3360・3660・3460・3560・3061F
この年に製造された車両から10系に準じた装備となり車番プレートもこれまでの青地・白文字から銀地・黒文字に変更されました
3659は3059Fに組み込まれ3060は3560Fに先頭車として組み込まれました
このため3060には幌を取り付けた痕跡が残っています
1976年落成車両:3044F~3049F
谷町線用AL車として落成した編成たちです。10系に準じて車両上部が丸みを帯びた形状になりました
車番は直接車体に貼り付ける形へ変更となり、この年に落成した編成のみドアの車内側が化粧板貼りになっています(他はAL・SUSむき出し)
1977年落成車両:3089F・3398・3698
谷町線用SUS車の3089Fと御堂筋線C編成の3098Fを6両化して谷町線へ転属するための3398・3698が落成しました。この時3066F(旧3099F)は予備車となりました
編成単位での落成はこの年が最後になります
1979年落成車両:3366・3092・3392・3592・3093・3393・3593・3099Ⅱ・3399・3599Ⅱ(Ⅱは2代目車両)
四つ橋線の30系統一と谷町線八尾南開業に合わせて製造された車両で御堂筋線用3003F~3005Fを5両化して四つ橋線へ転属する際余った3103~3105・3203~3205・3703~3705を谷町線へ転属するために製造された車両と予備車となっていた3066Fを四つ橋線で使用するために3366が製造されました
3003~3005Fのうち3000-3300-3400-3600-3500は四つ橋線へ転属し3003Fは3067F、3004Fは3068F、3005Fは3069Fへ改番し3103-3203-3703は3699-3499-3799、3104-3204-3704は3692-3492-3792、3105-3205-3705は3693-3493-3793へ改番しています
ここでまた迷要素が出ています、それは3099Fです。3099Fのうち3099・3499・3799・3599は元7009-8009が組み込まれていた3099Fではありません。元7009-8009が組み込まれていた3099Fは1979年6月に3066Fへ改番されています。つまり2代目となる車両です。ここから先2代目車両がうじゃうじゃ出てきます。
この増備車から荷物棚がパイプからステンレス網に変更されています。
1980年落成車両:3362~3365
御堂筋線用C編成の3094~3097Fを改番して四つ橋線へ転属する際に製造された車両で新30系の中ではまともな部類です。多分
改番は以下の通り↓
3094F→3062F
3095F→3063F
3096F→3064F
3097F→3065F
1981年落成車両:3094Ⅱ・3394・3594Ⅱ・3095Ⅱ・3395・3595Ⅱ
はい2代目車両がまた出てきました
御堂筋線用3006F・3007Fの四つ橋線転属で余った3106・3206・3706・3107・3207・3707を谷町線へ転属する際に製造した車両たちです
3107・3207・3707が3094Fへ、3106・3206・3706が3095Fへ組み込まれ改番されました
3006Fは3070Fへ、3007Fが3071Fへ改番されています
1984年落成車両:3043・3543・3097Ⅱ・3597Ⅱ
御堂筋線用SUS車3001F・3002FとAL車3008F~3010Fの中央線転属で余った3100形と3200形も中央線で運用するために製造された最終増備車です。この年に製造された車両たちが30系の中でも一番迷な車両たちです(理由は後述)
5.御堂筋線用アルミ車の転属と廃車開始
1987年に御堂筋線の中百舌鳥延伸開業に合わせて9両化が行われ御堂筋線に残った30系も9両化の対象になりました
しかし新型車両への置き換えを検討していたので増結には元北大阪急行8001Fと8002Fの3026Fと3027Fの中間車と3526、中央線転属で余った3110・3210を付随車化して使いました
形式は3800形となり元となった車両は以下の通りです↓
3126→3811
3226→3812
3326→3813
3626→3814
3726→3815
3426→3816
3526→3817
3127→3818
3227→3819
3327→3820
3627→3821
3727→3822
3427→3823
3110→3824
3210→3825
この時余った3026・3027・3527は中央線転属までの予備車となっています
1990年に新20系が登場し30系の廃車が始まりました。廃車を免れた車両のみが冷房化の対象となっています
3011F:3011-3311-3411-3511は千日前線へ転属、残りは廃車
3012F:3012-3312-3412-3512は千日前線へ転属、残りは廃車
3013F:中央線へ転属、3113・3213・3813以外は3036Fへ改番し3113・3213・3813は3026・3526・3814と組成し3034Fへ改番。
3014F:廃車
3015F3015-3315-3415-3515は千日前線へ転属、残りは廃車
3016F:3016-3316-3416-3516は千日前線へ転属、残りは廃車
3017F:中央線へ転属し3035Fへ改番、3117と3217は廃車
3018F:3018-3318-3418-3518は千日前線へ転属、残りは廃車
3019F:3019-3319-3419-3519は千日前線へ転属、残りは廃車
3020F:中央線へ転属し3039Fへ改番、3217は廃車、3120は3814へ改番、3820は予備車へ
3021F:中央線へ転属し3038Fへ改番、3821・3121・3221は3027・3820・3527と組成し3037Fへ改番
3022F:廃車
3023F:3023-3323-3423-3523は千日前線へ転属、残りは廃車
3024F:3024-3324-3424-3524は千日前線へ転属、残りは廃車
3025F:3025-3325-3425-3525は千日前線へ転属、残りは廃車
千日前線へ転属する際改番はなく25系が入るまでの繋ぎ的な立ち位置で導入されました
3044F~3049F:廃車されず冷房化
3085F~3088F:廃車
3089F:廃車されず冷房化
3090・3091F:廃車
3092・3093F:3000・3300・3500は残留し冷房化、それ以外は廃車
3094Ⅱ・3095ⅡF:3000・3300は残留し冷房化、それ以外は廃車
3096ⅡF:廃車
3098F:3398・3698は残留し冷房化、それ以外は廃車
3099ⅡF:3099・3399・3599は残留し冷房化、それ以外は廃車
3051F:谷町線へ転属し3669を組み込み3086Fへ改番
3052・3053F:廃車
3054F:谷町線へ転属し3469を組み込み3087Fへ改番
3055F:谷町線へ転属し3370を組み込み3091Fへ改番
3056F:谷町線へ転属し3670を組み込み3088Fへ改番
3057F:谷町線へ転属し3470を組み込み3085Fへ改番
3058F:廃車
3059~3061F:廃車されず冷房化
3062~3066F:3300を残し廃車、3300は冷房化
3067・3068F:廃車
3069F:3669・3469は谷町線へ転属、それ以外は廃車
3070F:3670・3470・3370は谷町線へ転属、それ以外は廃車
3071F:廃車
中央線用編成
3034F~3043F:廃車
3090F:谷町線へ転属
3097F:3097は冷房化、それ以外は廃車
実は廃車された車両には最終増備車である3043・3543・3597が含まれていました
この3両は製造から10年経たずに廃車されたという迷要素がありAL車の3043Fは先頭車が新30系、中間車が30系という珍編成です
3011・3012・3015・3016・3018・3019・3023~3025F:廃車
3011Fが我孫子検車場最後の出場車両ということで3011号車の車番プレートと車輪が浅香中央公園(我孫子検車場の跡地)に保存されているそうです
6.冷房化後から引退まで
新20系導入後も残った30系は全車谷町線へ集結し編成を組みました
新製配置が谷町線の3044~3049Fと3089Fを除き改番された車両があります
改番車両は以下の通りです
3059F:3364を3659Ⅱへ、3659を3759へ改番し組成
3060F:3365を3660Ⅱへ、3660を3760へ改番し組成
3061F:3366を3661Ⅱへ、3661を3761へ改番し組成
3092F:3698を3692Ⅱへ、3394を3792Ⅱへ、3094Ⅱを中間車化改造して3492Ⅱへ改番し組成
3093F:3363を3693Ⅱへ、3362を3793Ⅱへ、3097Ⅱを中間車化改造して3493Ⅱへ改番し組成
3099F:3398を3699Ⅱへ、3395を3799Ⅲへ、3095Ⅱを中間車化改造して3499Ⅲへ改番し組成
な ん と 3 代 目 出 現
3099Fのうち3799と3499は3期にわたって車番が出ています
また久しぶりに新しい2代目車両が出ていますね
これが30系の最終配置で引退までは改番がありません
あと車番の表示方法が青地に白文字へ統一されました
【追記】トプナンの行方
30系のトプナンはどの編成なのか正直曖昧なんですね。一番最初に製造された7001-8001か「3000」という車番を掲げた第一号の3008-3508か車番が一番若い3001Fか
悩みに悩んだ結果7001-8001・3008-3508・3001Fをまとめて行方を追います
1.7001-8001
7001-8001は1967年2月20日に近畿車輛で落成しました、最初の導入線区は谷町線と中央線で1969年2月20日に3094-3594へ改番され新造された3494-3794と編成を組み3094Fとなり御堂筋線に転属になりました。1972年に四つ橋線にも入るようになり1980年に3362を作って組み込み3062Fへ改番され四つ橋線専属になりました
1993年10月20日付で3362を残し廃車、3362は冷房化され3793へ改番し谷町線で余生を過ごしたそうです
3062号車は緑木で保存され2013年に走行展示を行ったそうです
2.3008-3508
3008-3508は30系AL車第一号として1968年6月7日に川崎車輌で落成しました。最初の導入線区は7001-8001と同じ谷町線と中央線です。1969年9月2日に新造された3108-3208-3308-3608-3408-3708と編成を組み3008Fになりました
1984年に3042Fへ改番され中央線へ転属となり抑速ブレーキがつきました
この時余った3108-3208は3643-3343へ改番され迷編成第一号の3043Fに組み込まれました
その後1993年7月10日付で3108-3208が廃車され1994年5月27日付で3042Fが廃車されました
3042号車は森ノ宮で保存され2008年の地下鉄開業75周年記念イベント「なつかし車両まつりin森ノ宮」ではじめて一般公開されました。後に登場初期の3008号車の姿に復元されたそうです
3.3001F
3001Fは1968年7月23日に近畿車輛で落成しました。最初の導入線区は御堂筋線です
1982年に3096Fへ改番され谷町線に転属となりこの時余った3101-3201は中央線へ転属となり3697-3397へ改番され迷編成第二号の3097Fに組み込まれました。
1993年7月23日付で3101-3201が廃車され1995年7月17日付で3096Fが廃車されました
これで第一回車番の沼を終わりたいと思います
こんなクソ長い記事を読んでいただきありがとうございました。
良ければ読者登録をよろしくお願いします
次回の車番の沼は南海2000系です。お楽しみに